ティファニー 通販 ジュエルハート

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ホーム ティファニーの歴史

1837年「A Life Time of Tiffany ~人生にティファニーを」のメッセージで知られるチャールズ・ルイス・ティファニーが、父親から借りた1000ドルを資本金に、友人であるジョン・B・ヤングとともに、ニューヨーク・ブロードウェイ259番地に文房具と装飾品の店「Tiffany&Young」をオープンしたのがティファニーの始まりです。
ファンシーグッズやステーショナリー、日本や中国から輸入した骨とう品を扱う小さな店でした。

1845年「Young&Ellis」社として最初のカタログを発行。
(現在のカタログにも「ブルー・ブック」として継承発行されています)
独特のティファニーブルーは、コマドリの卵の色とされており、当時の欧米では重要な権利書や台帳の表紙に用いられていたカラーです。
大切なものを包む色として、この頃からケースなどにも水色が使われるようになりました。
ティファニーを象徴するカラーに定着したティファニー・ブルーはここから生まれたのです。

1848年ティファニーは、2月革命から逃れたフランスの貴族たちより多くの宝石を入手しました。
これは、アメリカに最初に渡った重要な宝石として記録されています。
チャールズ・ルイス・ティファニーは、、「キング・オブ・ダイヤモンド」として広く知れ渡りアメリカを代表する宝石商としての地位を確立しました。

1850年「Tiffany,Reed & Co.」社、パリ出店。

1851年ニューヨークの銀細工師、ジョン・C・ムーアの事業を買収し、銀製品製造を開始。
銀の純度を92.5%に定める標準純銀法スターリングシルバー基準を制定し、後にアメリカ合衆国の純銀標準として採用されました。

1853年チャールズ・ルイス・ティファニーが共同経営者達から経営権を買い取り、「Tiffany & Co.」と改称し、ブロードウェイ550番地に移転しました。

1867年パリ万博にて、ティファニー社はアメリカ企業初の銀器部門で優秀賞を獲得しました。

1871年銀器のデザイン「オーデュボン」が発表されました。

1873年ティファニー製の水差しがボストン美術館に所蔵されました。
アメリカ製銀製品としては、最初の所蔵です。
エドワード・C・ムーアは、銀工芸の礎を築き、ポールディング・ファーンハムは、蘭の花シリーズなどジュエリーデザインの傑作が制作されました。
また、この時期、先住民族インディアンのモチーフなども取り入れています。

1878年前年に1万8千ドルで購入した、南アフリカのキンバリーで発見された287.42カラットのイエロー・ダイヤモンドの原石を、ティファニーの初代宝石鑑定士ジョージ・フレデリック・クンツ博士立会いのもと、パリでカットされました。
このクンツ博士により、その後カラットが世界標準単位となりました。
現在、このダイヤは 90面カット・128.54カラットで有名なティファニー・ダイヤモンドとして5番街本店の入り口に展示されています。

1885年この年、アメリカ合衆国公印のデザインを製作し、現在も使われている1ドル紙幣に使用されました。

1886年ダイヤモンドを6本の爪で支える「ティファニー・セッティング」を発表。
爪で隠れる部分を最小限にすることで、横からも光をとり入れることができ、カット技術が引き出した輝きがさらに増して、石を美しく見せることができるデザインとして、現在もエンゲージリングに「ティファニー爪」の名称として使用されるほど評価され続けています。

1902年創設者チャールズの息子であり、エミール・ガレと並び称されるアール・ヌーボーを代表する芸術家のルイス・カムフォート・ティファニーがティファニー・アート・ジュエリーを設立。
同年、チャールズは副社長のC・T・クックに後を託して亡くなりました。

1926年ティファニー社が採用していたプラチナの純度基準が、アメリカ合衆国政府の公式な純度基準とされました。

1940年この年、本社を現在の5番街57丁目に移転しました。

1952年パリ店が閉店されました。

1955年ウォルター・ホービングがティファニー家からビジネスを買い取って3代目経営者になりました。

1956年マスター・ジュエリー・デザイナーであるジーン・シュランバーセー(JEAN SCHLUMBERGER、副社長)が、ニューヨークのティファニー本店にサロンをオープン。
フランス生まれのシュランバーゼーは、鳥や海の生物など自然界をモチーフにしたものが多く、エメラルドやサファイアなどの色石とエナメル、ダイヤ、ゴールドを組み合わせる独特の色遣いが特徴です。
代表作となった「バード・オブ・パラダイス(楽園の鳥)」、「勇者のトロフィー」など数々の傑作がうまれました。
80歳で亡くなる87年まで、ティファニー社の専属デザイナーとして活躍しました。
死後、ルーブル美術館で回顧展が開催された、ただ一人のジュエリーデザイナーです。

1963年サンフランシスコ店オープン。

1969年チャールズ・ルイス・ティファニーの玄孫、ヘンリー・B・プラット ティファニーはタンザニアで発見されたブルーのカラーストーン「タンザナイト」を発表しました。

1972年三越日本橋店に出店。当初、ティファニー・ジャパンに出資していた三越を中心に店舗網が築かれました。

1974年エルサ・ペレッティ(ELSA PERETTI)が、ティファニー専属デザイナーとして作品を発表しました。
1940年イタリア生まれのペレッティは、モデル時代に、服飾デザイナーのジョルジョ・ディ・サンタンジェロのショーで、彼女のジュエリーが使われたことがきっかけで、その才能を認められ、ベストセラー商品「オープンハート」を手がけました。
ハートや涙などを素材にしたものや、骨や豆、星など自然界のモチーフも多く、独自の滑らかな線や形で作り出される完成されたフォルムは、長く愛されるティファニーを代表しています。

1980年パロマ・ピカソ(PALOMA PICASSO)がジュエリー・コレクションを発表しました。
1949年パブロ・ピカソの娘として誕生した彼女の宝飾デザインの才能を最初に評価したのは、イブ・サンローランでした。
色石を中心にした父親譲りとも思える大胆な色遣いと力強いフォルム、X(キス・マーク)の文字やハートを使った連続性のあるモチーフが特徴です。

1986年第2次世界大戦後に閉店していたロンドン店をオープン。

1987年ニューヨーク証券取引所に上場。
創設150周年記念として、銀器・宝飾品の回顧展がアメリカ自然史博物館・ボストン美術館・フィールド自然史博物館・メトロポリタン美術館で開催されました。
同年、社名を冠した香水「TIFFANY」が発表されました。

1996年マイケル・J・コワルスキーが、社長に選出されました。
日本では、銀座に旗艦店がオープン。

1997年ニュージャージー州にカスタマーサービスセンターがオープンされました。

1999年ダイヤモンドリング「Lucida」が発表されました。
Lucidaはラテン語で「宇宙で最も輝く星」という意味をもつ言葉です。
「lucidaカット」と呼ばれる四角形をしたこのダイアモンドは、ステップカットの高いクラウンと、ブリリアントカットのパビリオンをミックスした新しいダイヤモンドのカットとして注目されました 。

2004年9月に丸の内店がオープンされました。

2005年11月 スペイン・ビルバオのグッケンハイム美術館やフォッシルのウォッチデザインで知られる建築家フランク・ゲーリー(Frank Gehry)と新パートナーシップを締結。
フランク・ゲーリーがクリエイトするティファニーの新コレクションは2006年4月から発売されました。
日本では、ティファニー本店、丸の内店、新宿三越アルコット、伊勢丹新宿、横浜高島屋、名古屋店、大阪梅田店、そごう心斎橋本店、大丸神戸、福岡店で先行発売されました。